厨二病こじらせてスイス留学し東京でIT企業戦士として働いていた私が人口7千人の小さな町で蔵元になった【河津酒造】

 

今回訪れたのは熊本県の小国町。

温泉地として名高い「杖立温泉」や

CMの舞台となった滝の裏側が見える「鍋ケ滝」など、熊本県内のみならず全国的にも観光地となっている町です。

非常に趣があるこの町の中心にあるのが

河津酒造。

創業90年、人口7,000人ほどの小さな町で奮闘する酒造会社ですが、ここの蔵元が他と比べてちょっと異色な経歴をお持ちなんです。でもその経歴があったからこそ現在そして未来につながる、そのようなお仕事をされてましたよ。

全く継ぐ気なんてなかった

河津酒造株式会社 代表取締役社長 河津宏昭さん

中学の頃「こんな田舎に俺の居場所はない」と厨二病をこじらせ、たまたま学校においてあったパンフレットを見つけスイス留学を決意。

都会に憧れ日本を飛び出したものの、留学先のスイスもそんなに阿蘇と変わらない事実に気づき驚愕スイスの高校を卒業後、進学した大学で組織論や経営学を学び東京のIT企業に就職するが震災を機に帰郷。趣味は、釣り、山菜、猪狩り。

「なるほど。パンチきいてますね」

「当時はネットとかなかったし調べようもなかったもん。現地(スイス)についてアレ?ってなったけどもう来ちゃったし」

「なんてことですか。多くの蔵元は、意識するしないに関わらず”継ぐもんだ”と認識されていたそうですが、河津社長も”いずれは”という思いがあったのでしょうか?」

「いや全く継ぐ気なんてありませんでした。田舎が嫌で飛び出したんですもん」

「スイスまで?」

「スイスまで。」

 

全く継ぐ気がなかった河津社長。それは大人になっても特段変わらなかったそうですが、3.11の震災を機に熊本へ戻ってきたことが大きなきっかけとなりました。

「奥さんと当時お腹にいた子供と一緒に熊本に戻ってきたし、じゃ蔵の仕事しようかなって。だからどうしても蔵元になりたかったとかじゃないですね」

そんな気持ちがきっと滲み出ていたのかもしれません。

先代から「じゃ代を交代しよう」と社長に就任したのですが、元からいた社員さんとの摩擦もあったんだそう。

「溝っていうんですかね。やっぱりそこは今思っても深かったと思ってます」

「今でこそ皆一丸でって雰囲気ですが、それは互いの歩みよりで…?」

「そんな甘いもんじゃないですね。しかも前職ITでしょ。今はそんなことないですが当時だとITアレルギーの人も多かったんですよ。なんやあいつ。みたいなね」

ただここで委縮したり投げ出さなかったのには理由があります。

戻ってきた当時、社員同士のけんかが頻発していたり、そもそも結果を求めていない働き方だったり問題が山積だったんです。

「”これぞ河津酒造の酒”という特徴もなかった。量も作れない特徴もない。そんな酒だったんです

幾度となく話し合いを行ってきましたが、長年の習慣はなかなか抜けるものではありません。

「そこでまずは掃除しましょうって提案したんです」

「掃除?」

「はい。掃除すれば現状が見えてくるでしょ。200石しか作っていないのに過剰にモノだけはあった。まあ、あっても手入れしてりゃいいんですがそれすらしてなかった。一緒に掃除することで否が応でも直感として”こりゃまずいな”って分かるんですよ。結局、その掃除に参加しなかった社員はやめていきましたね。参加した人だけ残った」

そこから就業規則や人事制度、経営理念を新たに作り出した河津社長。一般企業で働く我々からすれば当たり前のように感じますが、酒造りは文化の部分も大きく影響をしています。効率ばかり求めると結果不効率になったりと四苦八苦で立て直しをはかってきました。

例えば

河津酒造での日本酒の絞り方は「槽袋搾り(ふねふくろしぼり)」。上からギューッと抑えたうえに袋詰めし吊るしていきます。

「効率だけで考えるのなら、一般的なヤブタ式(自動圧搾ろ過機で搾る方法)の方がいいんですよ。でもやっぱりこっち(槽搾り(ふねしぼり))の方が一番最初に出てくるやつが美味いんですよね」

確かに効率化だけでは測れないのが日本酒造り。今後100年200年続く”文化”として継承していくために何が必要なのかをしっかりと考えていくことも重要となっていくのです。情報の作業の取捨選択を面倒や効率化だけに偏らせず見極めていくその力はきっと、スイス留学やIT企業時代に養われたセンスと言えるでしょう。

 

作り手と共に。

現在、200石から400~500石に量を増やした河津酒造。それでも「蔵を大きくすることが目的ではない」と言い切ります。

「今は作り手に新酒の企画から販売までやってみようって言ってるんです。自分が作りたい酒だけ造っていたら過剰に在庫を抱えることになるという反面、大きく跳ねたらとんでもなく嬉しいことだとダイレクトに気づくんですよ」

「今までそうやって定番化した商品ってあるんでしょうか」

「ありますよ。超甘口の花雪」

どうせ甘口作るんならとことんだなってなり、超甘口を作ったところ想像以上の反響で定番化したんだそう。

こちらはなんと酵母を4種類加えたクワトロ方式。

「酵母ってよくフルーツの味に例えられるんですよ。それで混ぜたらどんな味になるのかなって(笑)ミックスジュースみたいになるんじゃね?って作ったら不思議な味ができましたのでこれも限定で販売します。考えた作り手の名前をもじって商品名は付けました」

実際にいただきましたが、確かに不思議。飲むたびに味が変化するんです。

前後に何を口に含んでいたのか、また温度などでも味が変わるんだそう。これは面白いし飽きがこない。

「あとね、これ個人的に思うんですけど日本酒もジャケ買いする人って結構いるんじゃないかって」

お酒に合わせてデザインも自ら考えている河津社長。どんな味なのか熟知しているからこそできる技です。

 

人生最後の日に飲む酒をつくりたい

蔵の中には専用の麹室も完備。ゆくゆくは自分の蔵で新しい酵母を生まれさせるのが目標なんだとか。

様々なチャレンジをするのがすごく楽しい!というのがビンビンと伝わってきますが、最初は継ぐつもりはなかったのになぜこんなに酒にハマったのでしょう。

人生最後の日に飲む酒を造りたいなっていう目標ができたからでしょうか」

作れる量が決して多いわけではない蔵だからこそ、個性を出さなければあっという間に淘汰されてしまう。冷静に市場のマーケティングを行い、適材を見抜くその力は、きっと酒つくりとは関係ない場所で生きていたからこそ見えてきた着眼点なのかもしれません。

小さい蔵だからこそできることがある。

蔵人と共にイノベーションを生み出す河津酒造のお酒をぜひ味わってみてはいかがでしょうか。